時代劇の『王女の男』で、脇役でありながら特別な存在感を放っていたのが、貞熹(チョンヒ)王后と韓明澮(ハン・ミョンフェ)だった。歴史的にも2人は結託して王の即位に重要な役割を果たしている。
王位争いの伏線
1469年、朝鮮王朝の8代王の睿宗(イェジョン)は、わずか在位1年2カ月で急死した。享年19歳だった。
当時、王になる候補者は3人いた。睿宗の長男である斉安(チェアン)。そして、睿宗の兄であった懿敬(ウィギョン)の長男・月山君(ウォルサングン)と二男の者山君(チャサングン)だ。
普通なら睿宗の長男である斉安が王になるのが当然だった。それが、王家の正統的な継承順位だった。
しかし、斉安はまだ5歳の幼い子供だった。
ここに、王位争いが複雑になる伏線があった。
もっとも早く行動を起こしたのが睿宗の母の貞熹(チョンヒ)王后だった。彼女は夫の7代王・世祖(セジョ)の側近であった韓明澮と秘密裏に接触した。実は懿敬の妻は韓明澮の娘であり、月山君と者山君は韓明澮の孫だった。
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