明宗(ミョンジョン)はどんな国王だったのか

 

12代王・仁宗(インジョン)の後を継いで、13代王として即位した明宗(ミョンジョン)。彼は、自分が思うような政治ができなかったのだが、果たしてどんな人生を歩んだのだろうか。

世子の命を狙った文定王后

明宗は、父親が11代王・中宗(チュンジョン)で、母親は中宗の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后だった。
この明宗が生まれたのは、1534年である。中宗は1506年に即位しているので、明宗は中宗が即位してから28年目に生まれた王子であった。
文定王后は、自分の息子を王にしたいと思っていたが、明宗には母親違いの兄がいて、その兄が世子(セジャ)になっていた。
それでも息子を王にしようとした文定王后は、世子の殺害を企てるが、すべて失敗に終わってしまう。その結果、世子は12代王・仁宗として即位するが、文定王后はまだ諦めてはいなかった。




結局、仁宗は即位してからわずか8カ月で世を去った。彼が急死したことについては、文定王后に毒を盛られたのではないかと言われている。
(ページ2に続く)

明宗(ミョンジョン)は何をした?『オクニョ 運命の女』に登場

明宗(ミョンジョン)は母の文定(ムンジョン)王后の悪政に苦しめられた

文定(ムンジョン)王后と鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が仕組んだ悪行

中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?

『オクニョ』に登場する実在の人物で一番のワルは文定(ムンジョン)王后!

固定ページ:

1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る