欲がない国王
中宗の在位期間は36年である。
歴代王の平均在位期間は約18年だから、およそ倍だ。これだけ長い期間を全うできたという意味では、実は幸せな王なのかもしれない。
朝鮮王朝が暴君を追放し、平穏になったときには、中宗のような“動かない王”がよかったのだろうか。
燕山君の後に個性の強い王が出れば、王権を拡大しようとして、さらに政治が混乱する危険性があった。そういう気持ちのサラサラない、欲がない中宗は官僚にとっても都合がよかったはずだ。いわば、時代の要請に合っていたのかもしれない。
朝鮮王朝では中宗のように、晴天の霹靂(へきれき)で急に王になった人が何人かいる。そういう人はえてして凡人で、危険性がなく神輿にかつがれることでよしとする人物だった。
かたや、クーデターを起こして王を追放しようとするほどの重臣たちは、かなりの志と力を持っている。そういう人たちに囲まれた中宗はおそらく「なんで王になってしまったのか」と情けない思いをしていたことだろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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