李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)になって何をしたのか?

継母に対する憎悪

芳遠はすぐに王位につかなかった。
つなぎで兄の芳果を2代王につけるという慎重な姿勢を見せたあと、1400年にようやく朝鮮王朝の3代王・太宗(テジョン)となった。
ただし、太宗に対する太祖の憎悪は凄まじかった。彼は退位後に地方で隠居生活に入っていたが、太宗が送ってきた使者をことごとく殺している。
それでも、時代に抗うことはできない。太祖は太宗が送ってきた無学(ムハク)大師の説得を受け入れ、1402年に息子と和解した。そして、1408年に73歳の生涯を閉じた。




この直後から、太宗は神徳王后に対する憎悪をむきだしにした。神徳王后が1396年に亡くなったとき、王妃にふさわしい墓に埋葬されたのだが、太祖の死後に太宗は神徳王后に対する祭礼を著しく格下げしたばかりか、墓を何度も移して最後は無縁仏のように放置した。
死後に悲惨な扱いを受けた神徳王后。彼女が王妃として復権したのは200年後のことであった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

太宗について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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