景福宮(キョンボックン)!歴史の荒波を乗り越えて甦った王宮

朝鮮王朝の第一正宮

正殿の勤政殿(クンジョンジョン)

景福宮は、中国に古代から伝わる都城(城壁に囲まれた都市)建築物の基本形式を守った配置になっている。国家行事や王が命令を下す勤政殿(クンジョンジョン)と、王が一般執務を行なう思政殿(サジョンジョン)が前方にあり、後方には王の寝殿である康寧殿(カンニョンジョン)、王妃の寝殿の交泰殿(キョテジョン)が建つ。
また、景福宮の東には、歴代王と王妃の位牌を祀る宗廟(チョンミョ)を、西には土地と穀物の神を祭る社稷壇(サジクタン)が配置されている(李成桂は景福宮より先にまず宗廟と社稷壇を建設した)。
こうした建物の配置は、儒教の基本思想である“前朝後寝左祖右社”(前が朝廷で後ろが寝殿、左が祖先の廟、右が社稷)に基づくもので、朝鮮王朝第一の正宮として、模範になるように作られている。




その後、1412年には3代王・太宗(テジョン)が、景福宮の池を大きく広げ、外国の使節をもてなす迎賓館となる慶会楼(キョンフェル)を建設。また、4代王・世宗(セジョン)も、慶会楼の南側に優秀な学者たちの研究機関である集賢殿(チピョンジョン)を建て、学者たちと深い関係を築いていった。
このように景福宮は、朝鮮王朝の第一正宮として長い間、重用された。
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