貞熹王后の垂簾聴政
貞熹王后が次の王に指名したのは、自分の孫の中でも兄である月山君ではなく弟の者山君のほうだった。彼女は、「斉安大君は幼く、月山君はからだが弱いため王になるべきではない」と詭弁(きべん)を弄(ろう)した。
しかし、本当の理由は違う。彼女は王が成長するまでの間、王の後継人として権力を振るいたかったのだ。者山君なら青年だった月山君よりも長く垂簾聴政を行なえると思ったのだ。1469年、者山君は9代王・成宗(ソンジョン)として即位した。
貞熹王后の思惑どおり、成宗が成人するまでの7年間、彼女は垂簾聴政を続け、宮中で好き勝手に振る舞った。
その間、成宗は政治に一切関わることがなく、日夜勉強を続けた。これが後の名君の下地になった。
貞熹王后は用意周到だった。王位から外された斉安大君と月山君が復讐しないように、彼らに高い身分を与えて手厚くもてなした。このあたりの配慮を見ても、貞熹王后は人間の本質をよく見抜いた女性だった。
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