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過去の記事一覧
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英祖(ヨンジョ)は本当に兄の景宗を毒殺したのか?
1720年に19代王の粛宗(スクチョン)が世を去り、張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ景宗(キョンジョン)が20代王として即位した。トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)が産んだ英祖(ヨンジョ)はこの… -
正祖は貞純王后を処罰しなかった
1762年に米びつの中で餓死した思悼世子(サドセジャ)には10歳の息子がいて、英祖が1776年に亡くなったときに王位を継いでいます。それが22代王の正祖(チョンジョ)です。ドラマ『イ・サン』の主人公に… -
華麗なファン・ジニ(黄真伊)の人生は謎に包まれている!
ファン・ジニ(黄真伊)は、両班(ヤンバン/朝鮮王朝時代の貴族階級)の庶子として、16世紀前半に松都(ソンド/現在の開城〔ケソン〕)で生まれた(正確な生年は不明)。身分制度が厳格だった朝鮮王朝だけに、庶… -
国王よりも強かった「女傑の五大王妃」は誰か?
朝鮮王朝では国王が絶対的な権力者であったが、実は国王以上に目立っていた王妃が何人もいた。それは、元敬(ウォンギョン)王后、貞熹(チョンヒ)王后、仁粋(インス)大妃、明聖(ミョンソン)王后、純元(スヌォ… -
イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった!
李芳遠(イ・バンウォン)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった。もともと、李成桂には13人の子供がいたが、そのうち男子は8人だった。最初の夫人は神懿(シンイ)王后。李成桂が出世する前か… -
イ・サン(正祖)が即位直後に一番やりたかったことは?
1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをい… -
光海君の斬首を執拗に主張した仁穆王后!
1623年3月13日の明け方、綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖〔インジョ〕)に統率されたクーデター軍は、内通者の協力を得て王宮内に入り込み、重要な拠点を次々と占拠した。虚をつかれた光海君は、無駄な抵抗を… -
母の文定王后が明宗を殺したも同然だった!
朝鮮王朝の13代王だった明宗(ミョンジョン)は、中宗(チュンジョン)と文定(ムンジョン)王后の息子として1534年に生まれた。彼は中宗の二男であったが、母の文定王后は我が子を王にするために悪行のかぎり… -
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)の悲惨な親子関係
1701年10月、粛宗(スクチョン)の命令によって、張禧嬪(チャン・ヒビン)は死罪と決まりました。死を覚悟した張禧嬪は「世子に会わせてください」と懇願しました。この世子とは、張禧嬪が1688年に産んだ… -
張禧嬪(チャン・ヒビン)に死罪を命じた粛宗(スクチョン)
1689年、粛宗(スクチョン)は仁顕(イニョン)王后を王宮から追放しました。「仁顕王后が質素な白いチョゴリを着て、わずかなお供を連れて実家に戻る場面」……それは様々な韓国時代劇で描かれてきました。ドラ…