金宗瑞(キム・ジョンソ)はなぜ端宗(タンジョン)を守れなかったのか

 

1452年に5代王・文宗(ムンジョン)が亡くなり、長男の端宗(タンジョン)が6代王となりますが、まだ11歳でした。この幼い端宗の後見人となったのが「大虎」と称された金宗瑞(キム・ジョンソ)でした。




首陽大君との対立

金宗瑞は超大物の高官でした。
若いときからずっと、朝鮮半島の北方に侵攻してくる異民族から国土を守った英雄として活躍しました。「大虎」の異名がつくほど勇猛な人だったと言われており、4代王・世宗(セジョン)に信頼された重臣です。
実は初期の朝鮮王朝にとって、北側の領土を確定させることは非常に重要でした。北側以外の三方は海に囲まれていて国防面からも都合が良かったのですが、北側は中国大陸と陸続きであり、異民族が大軍で襲ってくる危険性に満ちていました。それだけに、朝鮮王朝は創設以来、常に神経をとがらせていたのです。この最重要戦線で力を発揮したのが金宗瑞でした。
その彼が、命に代えても幼い端宗を守り抜く覚悟でした。
しかし、端宗の叔父であった首陽大君(スヤンデグン)の見方は違います。金宗瑞が幼い王の後見人になって自ら政治を牛耳ろうとしている、と見えたのです。
金宗瑞は、果たしてどういう人物だったのでしょうか。




何よりも、武勲を挙げて出世していますので、将の器として人望が厚かったと言われています。権力欲がなかったとはいえませんが、後見人の段階で総理大臣に匹敵する政権の中枢を担っているわけで、王朝を乗っ取る気はなかったでしょう。
しかし、弱みとなっていたのは、すでに60歳を過ぎていたことです。人生50年の時代ですから、かなりの年配です。
一方の首陽大君は、自分が一番王にふさわしいと思い込むほど血気盛んな王族でした。金宗瑞が対抗するには相当な難敵です。ただし、朝鮮王朝はこの時点で政治機構が組織化されていましたから、政権の中枢にいることは絶大な権力の保持であり、金宗瑞のほうが首陽大君より有利な立場にいました。
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