張禧嬪(チャン・ヒビン)はワガママ粛宗(スクチョン)の犠牲者の1人!

哀れな女性

1701年に仁顕王后が病死した。
その直後に、張禧嬪が祠(ほこら)をつくって仁顕王后を呪っていたことが発覚した。張禧嬪は普段から仁顕王后に不遜な態度で接し、その点では弁解の余地はないのだが、粛宗は臣下たちの猛反対にもかかわらず強引に張禧嬪を死罪にした。
臣下たちが反対したのは、張禧嬪が世子(セジャ/王の正式な後継者)の母だったからだ(仁顕王后には子供がいなかった)。やがて王になる世子の母を死罪にすれば、将来にわたってどんな禍根を残すことになるか。
それ以前にも、10代王の燕山君(ヨンサングン)が母の死罪を知って関係者を大虐殺したという過去があった。粛宗が、その悲惨な出来事を知らないはずがなかったであろうに……。




韓国時代劇『トンイ』では、柔軟な思考を持った優しい王として粛宗が描かれている。この描き方は韓国で粛宗の好感度をあげただろうが、「朝鮮王朝実録」を読む度に浮かび上がってくるのは、粛宗のわがままぶりである。
むしろ張禧嬪は、粛宗に翻弄(ほんろう)された哀れな女性、という言い方ができるかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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