張禧嬪(チャン・ヒビン)は朝鮮王朝三大悪女の1人/朝鮮王朝人物列伝特選7

 

「朝鮮王朝3大悪女」の1人して有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)。粛宗(スクチョン)の統治する時代に生きた彼女が、いったい何を理由に悪女と呼ばれるようになったのだろうか。




張禧嬪という人物

粛宗と張禧嬪が出会ったのは1680年である。彼女は、親戚が通訳官だったため、女官として宮中に出入りしていた。張禧嬪はかなりの美貌の持ち主で、粛宗も一目惚れするほどだ。しかし、「この女は、息子にとって危険な存在だ」と感じていた粛宗の母親である明聖(ミョンソン)王后によって、張禧嬪は王宮を追い出されてしまう。
彼女を寵愛していた粛宗は、母に「張禧嬪を王宮に戻してほしい」と頼み込むが、明聖王后はそれを許可しなかった。
一方、貧しい生活を送ることになった張禧嬪だが、明聖王后が1683年に亡くなると、粛宗の正室である仁顕(イニョン)王后によって王宮に戻ることができた。彼女は、王が気に入っている女官を近くにいさせてあげたいと思ったのだ。しかし、張禧嬪は仁顕王后に感謝するどころか、王の寵愛を受けていることを理由に、わがままに振る舞うようになった。




仁顕王后は自分の行なったことを後悔した。彼女は張禧嬪を呼び出して、ふくらはぎをムチで叩いた。明聖王后が張禧嬪を追い出した理由を悟った仁顕王后だが、その後、彼女の立場が不利になる出来事が起きてしまう。
1688年、張禧嬪が息子の昀(ユン)を産んだのだ。初めての息子の誕生を喜んだ粛宗は、生まれたばかりの昀を世子(セジャ)候補として元子(ウォンジャ)に指名しようとした。
1689年、張禧嬪からの度重なる催促を受けていた粛宗は、高官たちを集めて昀を元子にすると言った。それに対して高官たちは反対意見を述べた。なぜなら、正妻の仁顕王后は21歳と若く、まだ息子を産む可能性が十分にあるからだ。
しかし、粛宗は「すでに決めたことだ」と反対意見をすべて無視した。さらに、彼は嫉妬深いという理由から仁顕王后を廃妃にすると、張禧嬪を新たな王妃として迎えた。
ついに王妃の座を手に入れた張禧嬪。彼女の息子である昀も王の後継者となった。もはや張禧嬪に不可能はなかったが、この後、彼女は転落人生を歩むことになる。




その原因が、ドラマ『トンイ』の主人公となった淑嬪(スクビン)・崔(チェ)氏の登場である。すでに張禧嬪への愛を失っていた粛宗は、下働きで水汲みをしていた彼女に心を奪われた。さらに、粛宗が1694年に仁顕王后を王妃に戻したことで、張禧嬪の没落が決定した。しかも、淑嬪・崔氏が後の21代王・英祖(ヨンジョ)となる息子を産んだので、世子である昀の立場も危うくなった。
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