看病疲れが原因
世子は冠を脱がずに昼夜ずっと中宗のそばにいて看病を続けた。しかも、父を案じて自分の食事にも箸をつけなかった。
その甲斐もなく中宗は1544年に56歳で亡くなった。
すると、世子は5日間も飲み物に手をつけなかった。
父の命を救えなかったことで、自分を責めたのだ。
この話が市中で広まると、人々は世子のことを「なんと親孝行なのだろうか。まさに孝行息子の鑑(かがみ)だ」と讃えた。
とはいえ、世子の悲しみがあまりに深かったので、彼のほうも倒れてしまうのではないかと側近たちは心配した。
実際、世子は王位を継いで12代王・仁宗(インジョン)として即位しても、体調がずっと悪かった。
誰の目にも看病疲れが原因と映ったが、それでもなお仁宗は「父が亡くなったのは自分のせいだ」と反省し続けた。
その姿を文定王后は冷やかに見ていた。
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