中宗が寵愛した側室
犯人が特定できない中で、中宗の母の貞顕(チョンヒョン)王后がこう語った。
「東宮の件は誰がやったかわからぬが、大殿に関しては敬嬪(キョンビン)が疑わしいのではないか」
王室の最長老に名指しされたのは、敬嬪・朴(パク)氏であった。
この敬嬪・朴氏というのは、中宗に一番気に入られていた側室だった。
しかも、彼女は福城君(ポクソングン)という中宗の息子を産んでいた。
世子が早世するようなことがあれば、福城君が中宗の後を継ぐ可能性もあった。
それゆえ、敬嬪・朴氏は宮中でも立場が強かった。
そんな状況を苦々しく見ていたのが文定王后だった。
「あの女をなんとかしなければ……」
文定王后にしてみれば、敬嬪・朴氏を陥れる意図が十分にあった。王妃としての自分の立場を強固にするためには、ぜひそうする必要すらあったのだ。
やはり大妃(テビ/王の母)の一言は重い。
貞顕王后には誰も逆らえず、敬嬪・朴氏と福城君、そして2人の翁主(オンジュ/王の側室が産んだ王女)は王宮から追放されてしまった。
中宗は寵愛する側室と息子・娘を何度もかばったのだが、結局は実母の容疑者特定を覆すことができなかった。
こうして、「灼鼠の変」は、文定王后に大きな成果をもたらした。彼女は一番めざわりな敵を王宮から追い出すことができたのだ。
その後の定説では、文定王后の命令を受けた手先の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)が、ネズミの死骸を仕掛けた、と言われている。
つまり、「灼鼠の変」は文定王后と鄭蘭貞による陰謀だったのだ。
それ以後も、2人は王宮の中で数々の悪行を繰り返した。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。
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