7男1女を育て82歳まで生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)の人生!

 

ドラマ『華政(ファジョン)』の主人公になっていた貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。果たして、どのように波瀾万丈な日々を送ったのだろうか。彼女の結婚を中心にその人生をたどってみよう。




9年間の幽閉生活

貞明公主は1603年に14代王・宣祖(ソンジョ)の娘として生まれた。母は、宣祖の二番目の正室だった仁穆(インモク)王后である。51歳にして初めて公主(王の正室から生まれた王女)を得た宣祖は、貞明公主をとても可愛がった。
宣祖の後を継いで15代王に即位したのは、貞明公主の異母兄の光海君(クァンヘグン)だった。
しかし、光海君の一派は王位を死守するために、貞明公主の弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を1614年に殺害し、仁穆王后と貞明公主を西宮(ソグン/現在の徳寿宮〔トクスグン〕)に幽閉してしまった。
軟禁状態となった仁穆王后と貞明公主。
2人は非常に辛い日々に耐えなければならなかった。




1623年、宣祖の孫で光海君の甥であった綾陽君(ヌンヤングン)がクーデターを成功させて、光海君を廃位に追い込んだ。そのうえで、綾陽君は16代王・仁祖(インジョ)として即位した。
その結果、仁穆王后と貞明公主は9年間の幽閉生活を解かれた。このとき、貞明公主は20歳になっていた。
普通、王女の場合は10代前半に名家の御曹司と結婚するのが常だった。つまり、当時の20歳というのは、かなり婚期が遅れていたのだ。それも、幽閉されていたので仕方がなかったのだが……。
仁穆王后は貞明公主を早く結婚させたいと願った。しかし、容易に相手が決まらなかった。理由は貞明公主が20歳になっていたこと。候補になりそうな名家の御曹司は、10代なかばまでにほとんどが結婚していた。
(ページ2に続く)

解説!貞明公主はなぜ大地主になれたのか

貞明公主!結婚式での有名なエピソード

貞明公主はどんな性格の王女だったのか

貞明(チョンミョン)公主は晩年をどう過ごしたのか

光海君(クァンヘグン)と綾陽君(ヌンヤングン)と貞明(チョンミョン)公主

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