大出世を果たした男
政変に激怒したのが金祐徴だった。彼は張保皐に憤怒をぶつけた。
「金明は王を殺して自ら王になったが、天が許すはずがない。将軍、兵を貸してほしい。金明に天罰を与えなければならない」
張保皐も意気に感じた。
「古人は『義を見てなさざるは勇なきなり』と言いました。私は凡庸かもしれませんが、命令とあれば従いましょう」
張保皐は金祐徴の意を受けて挙兵した。勇敢な兵士たちによって構成された張保皐軍は連戦連勝で、閔哀王が送ってきた王朝軍を打ち破った。最後に閔哀王は命が惜しくて逃げたが、張保皐軍によって殺された。
839年、今度は金祐徴が45代王の神武王(シンムワン)になった。立役者の張保皐は感義軍使という高官にのぼりつめた。貧しい家柄の男が、これ以上はないという大出世を果たしたのだ。
しかし、張保皐にはさらなる野望があった。その野望は、神武王が即位後わずか7カ月で急死してから大きくふくらんだ。
あまりにめまぐるしく王が代わった。今度は金祐徴の息子が王位に就いて46代の文聖王(ムンソンワン)になった。
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