仁穆(インモク)王后は仁祖(インジョ)に光海君(クァンヘグン)の斬首を主張!

 

1623年3月13日の明け方、綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖〔インジョ〕)の統率のもとで兵力を整えたクーデター軍は、内通者の協力を得て王宮内に入り込み、重要な拠点を次々に占拠した。虚をつかれた光海君は脱兎のごとく王宮を抜け出した。クーデターは、無用な戦闘をせずに終わった。光海君も後に捕らえられた。

康熙奉(カン・ヒボン)著『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(実業之日本社発行/2018年11月2日発売)




光海君の処遇問題

綾陽君にはクーデターの正統性を明確に示す必要があった。
燕山君のように大量の殺戮(さつりく)を繰り返した残虐非道の暴君であれば、追放するのに特別な理由は要らないが、光海君の場合は燕山君とは明らかに事情が違っていた。私憤にかられて政変を起こしたという言いがかりを押さえ込むためにも、誰もが納得する大義名分を掲げる必要があった。それが終わらないかぎり、クーデターが成功したとは言えなかった。
そこで、綾陽君はすぐに離宮に幽閉されていた仁穆(インモク)王后のもとに駆けつけた。
ようやく幽閉を解かれた仁穆王后はこう言った。
「私は薄幸の運命を持っているようで、大変な災いを受けました。逆魁(ヨククェ/光海君のこと)が私のことを仇のように思って、私の父母や親族を殺戮(さつりく)し、幼い息子(永昌大君〔ヨンチャンデグン〕)を殺害して私を離宮に幽閉したのです。このからだは長い間隔離されて、どんな消息も耳に入ってこないようにされていましたが、まさか、今日のような日がくるとは、夢にも思いませんでした」
さらに、仁穆王后はこう付け加えた。
「昨晩、夢に先王(宣祖〔ソンジョ〕)が現れて、このようなことが起きると教えてくれました。みなさんは改めて人の道を示してくれたのです。この功労をどのように讃えれば良いのでしょうか」




復讐を遂げた仁穆王后は、身が震えるほどの感激を味わっていた。
その後は王位の継承に関する手続きなどが話し合われたが、仁穆王后が執着したのが光海君の処遇問題だった。
(ページ2に続く)

光海君(クァンヘグン)は朝鮮王朝でどんな国王だったのか

廃位となった光海君(クァンヘグン)!朝鮮王朝全史16

光海君(クァンヘグン)は暴君なのか?名君なのか?

光海君(クァンヘグン)が仁穆(インモク)王后に復讐された日(前編)

光海君(クァンヘグン)を追放した仁祖(インジョ)に大義名分はあるのか?

固定ページ:

1

2 3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る