景宗が即位
英祖の代理聴政は、少論派の反発を招いた。彼らは景宗を支持し、英祖の肩をもつ老論派と激しく対立した。
そんな状況の中、1720年6月8日に粛宗が亡くなった。彼は後継ぎを英祖にしたいという願いをもっていたが、それが大きな政変につながることをおそれて、結局は景宗の世子としての立場を変えなかった。
それによって、景宗は20代王として即位した。彼は政治的に少論派に支えられていたが、当時の政権内部で優勢だったのは老論派のほうだった。
「殿下には後継ぎがおりません。王朝の存続が危うくなるので、早く弟君を世弟(セジェ/王の後継者となる弟のこと)に冊封(さくふう/王家の重要な立場に決めること)してください」
老論派はこのように主張した。それには大義名分があったので少論派も抵抗できず、1721年8月に英祖は世弟に冊封された。
その後も老論派の攻勢が続いた。
「殿下は病弱ゆえに世弟様に代理聴政をさせてはいかがでしょうか」
このように主張して、暗に景宗の譲位を促した。
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