離縁に反対した中宗
中宗には、燕山君に仕えていた父親をもつ端敬王后という妻がいた。燕山君派の者たちを排除してきた高官たちは、端敬王后の存在をよく思っておらず、中宗に離縁するように迫った。
妻と別れることを望んでいなかった中宗は、そのことに反対の意を示したが、高官たちには聞き入れられなかった。
やむなく中宗は、端敬王后を離縁せざるを得なかった。その後、端敬王后のことが忘れられなかった中宗は、王宮の一番高いところに上って彼女の実家のほうを見つめるようになった。
彼の様子は噂となり、端敬王后の耳にも届いた。彼女は、中宗が自分をすぐに見つけられるようにと、王妃だったころに着用していたチマ(スカート)を裏山の岩にかけるようになった。これが今も「チマ岩の伝説」として語り継がれている。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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