1506年、燕山君(ヨンサングン)の悪政を終わらせるためにクーデターが起きた。「朝鮮王朝実録」の1506年9月2日の項には、当時のことがどのように記されているか。具体的に見てみよう。
燕山君の追放
「朝鮮王朝実録」は燕山君について次のように描写している。
「国王(10代王の燕山君〔ヨンサングン〕)は、暮らしの中で悪事に溺れ、酒を飲んで歌い踊るという退廃的な日々を送った。
さらに、国王は自分の行動が不道徳であると知っていながら、内心では恥ずかしく思っていた。
それで、人道を混乱させていって、周囲の人間たちを自分と同じように仕立てようとしたのである。
当然ながら、内外から恨む声が絶えなかった。
乱が起きると、王宮の各門を守っていた兵士たちがみな垣根を越えて逃げ出した。
すぐに、王宮の中はもぬけの殻になった。
(こうしてクーデターは成功した)
多くの官僚たちが王宮の庭に出てきて列を組み、まず大妃(11代王・中宗〔チュンジョン〕の母であった貞顕〔チョンヒョン〕王后。彼女は10代王・成宗〔ソンジョン〕の三番目の正室だった)が教旨を発布した」
(ページ2に続く)
『七日の王妃』歴史解説!燕山君(ヨンサングン)と中宗(チュンジョン)と端敬(タンギョン)王后の運命