1392年に開国した朝鮮王朝。この王朝の基盤を作ったと言われているのが、儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。彼は悲惨な最期を遂げるのだが、果たしてどんな人生だったのだろうか。
理想は儒教的な王道政治
鄭道伝は、1337年に生まれている。出生地は、慶尚道(キョンサンド)の栄州(ヨンジュ)である。
彼は、学問的にとても優れていたのだが、家柄があまり良くはなかった。そういう面では、鄭道伝は実力に見合った出世ができなかった。なおかつ、流罪になったこともあり、鬱屈(うっくつ)した青年時代を過ごした。
そんな彼が出世の糸口をつかんだのは、李成桂(イ・ソンゲ)と知り合ったことだった。2人が出会ったのは1383年と言われている。すでに李成桂は有名な武将になっていて、鄭道伝が李成桂の力を借りたくて近づいたのであった。
結局、李成桂は高麗随一の将軍となった。1392年に高麗を滅ぼして自ら朝鮮王朝を建国することになるのだが、その際に一番の功績があったと言われているのが鄭道伝である。
武将としての実力があった李成桂だが、国の基本となる政治・経済・兵法・官僚組織の整備に特別な能力を持っていたわけではない。そこで、鄭道伝は李成桂を補佐して、自ら理想と考えていた儒教的な王道政治を築こうと努めた。(ページ2に続く)
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