貞純(チョンスン)王后は、21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室となった女性である。彼女は、王妃として政治を自分の思い通りに動かしたのだが、どのような人生を過ごしたのだろうか。
王妃となった貞純王后
英祖には、もともと貞聖(チョンソン)王后という王妃がいた。しかし、貞聖王后は1757年に世を去ってしまう。その2年後に、英祖が新たに王妃として迎えたのが貞純王后である。
彼女は名門の一族の家庭に生まれたが、父親は貧しい生活に苦しんでいた。それでも、娘である貞純王后を揀擇(カンテク/王妃を選抜する行事)に参加させるために借金までしている。
とても聡明だった貞純王后は、その揀擇の場で才能を発揮して英祖の王妃となったのである。このとき、英祖は65歳で貞純王后は14歳だった。
2人の年の差はかなり大きかったが、その状況で貞純王后は、英祖が世を去った後に王宮でどうすれば有利になるのかを考えていたに違いない。
このとき、英祖には荘献(チャンホン)という息子がいた。荘献は、英祖と側室の映嬪(ヨンビン)・李(イ)氏との間に生まれた王子である。
貞純王后より10歳も年上の荘献は、英祖の後継者として世子(セジャ)に指名されていた。しかし、英祖と荘献の親子仲はそれほど良くなかった。
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