彼を讃えた碑
朴文秀が初めて赴任したのは、当時もっとも英祖に反抗的だった慶尚道(キョンサンド)だった。
その地で朴文秀は役人たちの不正を暴き、民衆たちの喝采を浴びた。
日ごろから清廉で公平だった朴文秀にとって、暗行御史の仕事はまさしく天職だった。彼は慶尚道から戻った後も、各地を暗行御史としてまわり、多大な成果をあげた。
多くの武勇伝を残したが、もっとも有名なのは、凄まじい豪雨に襲われた地域にいちはやく救援物資を届けたことだ。普通は王の許可が必要なのだが、彼は被災者のことを考えて迅速に行動した。
これは暗行御史としても確実に越権行為だった。しかし、朴文秀は少しも臆することなく信念にもとづいて行動した。
そのおかげで、被災者は餓えの苦しみから解放された。
恩を受けた人々は感謝の気持ちから、朴文秀を讃えた碑を建てた。彼がいかに多くの人たちから慕われていたかがよくわかる。
中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?