王の信頼が厚かった
朴文秀の家柄は代々続く名門だった。
いわば、彼はエリート中のエリートだった。
朴文秀が官職に就いていた時、朝廷内は大きな混乱に包まれていた。21代王・英祖(ヨンジョ)の下で、臣下たちが二つの派閥に分かれて争っていたのだ。
そうした情勢の中で、明るく気の回る朴文秀は、英祖が気が許せる数少ない人物の1人だった。
王の信頼を集める朴文秀も党派争いに巻き込まれ、一時的に朝廷から追い出されたこともあった。
朴文秀は3年間、地方での公務に励みようやく朝廷に戻ることができた。このことを英祖は誰よりも喜んでくれた。
当時、英祖には頭を抱える問題があった。それは、自分の目の届かない地方にいる役人たちの不正であった。英祖はそれらの実態の調査に、自身が最も信頼していた朴文秀を指名した。
こうして朴文秀は暗行御史としての活動を始めた。
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中宗(チュンジョン)はなぜ文定(ムンジョン)王后の悪行を止めなかった?