ホ・ジュン(許浚)は名著『東医宝鑑』を書いた真の偉人!

 

ホ・ジュン(許浚/1546~1625年)は400年近く前に亡くなった名医。彼のおかげでどれだけ多くの人の命が救われたことか。ホ・ジュンが著した『東医宝鑑』は日本や中国だけでなくヨーロッパまで鳴り響いた全25巻の名著であった。




宣祖(ソンジョ)の主治医

『東医宝鑑』に記された医学的知識は現代人も享受しているというから、その偉大さは本当にはかりしれない。ちなみに、韓国は2009年に『東医宝鑑』をユネスコの世界記録遺産に登録をしている。
これほどの名著を書いたホ・ジュンが生まれたのは1546年だ。
彼は名門の家に生まれたが、庶子(妾の子)であったために、重要な官職に就くことはできなかった。当時の身分制度では、どんなに優秀な者でも庶子は冷遇された。
少しでも自分の能力を生かせる仕事をしたいと思ったホ・ジュンは、山中で仙人のように暮らしていた名医のもとで修業し、医学の基礎を学んだ。
29歳のときに科挙の医科に合格して、ホ・ジュンは宮廷内で診察をするようになった。医学に対して熱い情熱を持ち、その医療技術も並はずれていた。宮廷に入ってからわずか1年で、14代王・宣祖(ソンジョ)の主治医となった。
異例の抜擢だった。




すぐに、宣祖から絶大な信頼を得た。それでも慢心することなく、日々新たな専門知識の探求に精進した。
その成果を目の当たりにした宣祖は、中国からの翻訳ではなく、民族独自の医学書の必要性をホ・ジュンに説いた。
ホ・ジュンも宣祖と同じ思いだった。
こうして『東医宝鑑』の構想が浮かんだのだ。
(ページ2に続く)

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