知られざる光海君(クァンヘグン)の実像1「光海君の即位」

 

光海君(クァンヘグン)はどのような王だったのでしょうか。父親は14代王・宣祖(ソンジョ)です。この宣祖は、朝鮮王朝で初めて側室から生まれた王でした。13代王までは、すべて王の正室から生まれています。それが嫡子なのですが、宣祖の場合は庶子になります。




兄は臨海君

朝鮮王朝には厳しい身分制度があり、庶子出身の人はほとんど出世できませんでした。そういう庶子から王になったということで、宣祖は大変なコンプレックスを持っていました。
それだけに、自分が指名する世子(セジャ/王の正式な後継者)は正室が産んだ息子を当てたいと思っていたのですが、宣祖の正室は身体が弱くて子供ができなかったのです。結果的に、側室が産んだ息子の中から選ばざるを得ませんでした。
候補は2人いました。臨海君(イメグン)と光海君です。2人とも同じ側室から生まれた兄弟で、臨海君が兄です。
伝統からいくと、世子には兄の臨海君がふさわしいのですが、性格がやや粗暴でした。一方、弟のほうが優秀だったために、光海君を推す声が強くなり、最終的に宣祖は彼を世子に指名しました。
当時、世子の決定には中国大陸の明の許可が必要でした。その明の許可を待っている段階で、1592年に朝鮮出兵が起こり、朝鮮半島が戦乱に巻き込まれました。




その際に、臨海君が加藤清正軍の捕虜になってしまいます。地方に行って義勇軍を集めようとしたときに臨海君がつかまってしまい、以後も捕虜として連れまわされました。臨海君にとっては大変な屈辱であり、釈放された後も酒浸りになって生活が乱れてしまいました。
一方の光海君。彼は地方で義勇軍を組織して戦功をあげました。これによって光海君はどんどん評価を高めて、彼の立場は磐石になったのですが、戦乱が終結しても明からの許可がまだ出ませんでした。明は「なぜ年長の臨海君を第一に考えないのか」と疑問を呈していたのです。
(ページ2に続く)

知られざる光海君(クァンヘグン)の実像2「骨肉の争い」

光海君(クァンヘグン)!暴君の汚名から名君へと評価が一変した国王

光海君(クァンヘグン)と仁穆(インモク)王后はなぜ激しく対立したのか

最大の屈辱で恥をかいた仁祖(インジョ)!朝鮮王朝全史17

光海君(クァンヘグン)を廃位にした仁祖(インジョ)に正当性はあるのか

光海君(クァンヘグン)と綾陽君(ヌンヤングン)と貞明(チョンミョン)公主

固定ページ:

1

2

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る