名作時代劇が描いた一人の宮女
ジュノ(2PM)とイ・セヨンが主演した『赤い袖先』。傑作が多い韓国時代劇の中でも、特に評価が高い作品である。ジュノが名君のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)に扮して、堂々たる演技を見せていた。そして、イ・セヨンが演じた宮女のソン・ドギムは、やがてイ・サンの側室となって宜嬪・成氏(ウィビン・ソンシ)を名乗るようになった。
フィクションの枠を超え、歴史の波間に生きた実在の彼女は、果たしてどのような運命を辿ったのだろうか。
命懸けの拒絶と正室への忠誠
ソン・ドギムの誕生は1753年である。彼女は幼い頃から宮廷に仕える宮女であった。10代の頃からすでに、次期国王であるイ・サンの熱烈な寵愛を受けていた。王の承恩(スンウン/国王や後継者が好きな女性と一夜を共にすること)を受けることは、宮女にとって名誉でもあった。
しかし、ドギムの反応は周囲の予想を裏切るものだった。彼女はその誘いを頑なに固辞したのである。宮廷の掟において、王室の誘いを拒むことは死罪にも直結しかねない重罪である。それでも彼女が拒絶したのには理由があった。正室である孝懿(ヒョウィ)王后への強い忠誠心と配慮である。王后は子宝に恵まれていなかった。ドギムは自身の栄達よりも、正室の心情を思いやる道を選んだのである。
本来なら処罰されてもおかしくない。しかしイ・サンはドギムの無欲な人柄を深く愛し、決して彼女をとがめることはなかった。
深まる絆と王室の重圧
歳月は流れ、イ・サンも30歳に差し掛かっていた。王位継承者が不在であることは、国家の根幹を揺るがす危機である。血統の存続という重圧が王にのしかかっていた。この国家的危機のなか、ついにドギムはイ・サンの思いを受け入れる決断を下す。長きにわたる王の誠実な愛が、彼女の心を動かしたのである。
一人の宮女から王の側室へ。二人の間には、身分の壁を超えた深い絆が結ばれた。しかし、その歩みは平坦ではなかった。彼女は二度の妊娠と流産という悲しい結末を経験する。深い絶望の淵に立たされたはずだ。それでも希望は失われなかった。1782年9月7日、ついに待望の男児が誕生したのである。続いて女児にも恵まれた。だが、過酷な運命は容赦ない。その王女は生後わずか2ヶ月に満たないうちに、短い命を散らしてしまった。
儚く散った命と永遠の伝説
誕生した男児は文孝(ムニョ)と名付けられた。王室の希望の星である。1784年7月、わずか2歳にして早くも世子(セジャ)の座に就いた。次期国王としての輝かしい未来が約束されていた。
誰もが王朝の安泰を信じて疑わなかった。しかし、幸福な時間は短かった。1786年5月、幼い世子は短い生涯を閉じてしまう。母であるドギムの悲しみは計り知れない。悲劇はこれで終わらなかった。愛する我が子を失った心労からか、同年1786年9月14日、ドギム自身もこの世を去った。享年33。若すぎる死であった。彼女は妊娠していたという。
純粋に王に愛されて自らの意志を貫こうとしたソン・ドギム(宜嬪・成氏)。その鮮烈な生涯は、朝鮮王朝史に刻まれた最も美しく切ない伝説として、今なお語り継がれている。
画像=MBC
文=康 大地(こう だいち)





