朝鮮王朝はなぜ儒教を国教に取り入れたのか

重要な統治手段

儒教は、もともとは中国で乱世の時代に人間の倫理を正すために生まれた政治思想でした。人間の上下関係を認め、それぞれが自分の義務に充実に行動するとき乱世がおさまり正しい政治が行なわれるとされていました。
つまり、強力な王権を確立するのに適した思想を持っていたのです。
そこで、朝鮮王朝の建国功臣たちは基本理念として儒教を取り入れました。もちろん、それ以前の朝鮮半島でも儒教の経典は知られていて重要な学問だったのですが、国家全体を統括する思想ではありませんでした。




結局、儒教が広く浸透するには、時間と努力が必要でした。朝鮮王朝の初期には、新しい貴族階級であった両班(ヤンバン)の間でなお仏教を重んじる風習が強く残っていましたが、国家が率先して仏教を排斥したために、仏教を信じる人たちが減り、長く苦難の道を余儀なくされました。
これに対して、儒教は最初から重要な統治手段であり、さらに、支配階級の根本思想として発展しました。
また、科挙の試験問題は儒教の教義から出されたので、学問的あるいは思想的に一般社会に広まったのです。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』

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