5代王の文宗(ムンジョン)が1452年に亡くなり、11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王となった。宮中では幼い端宗を籠絡しようと水面下での権力闘争が繰り広げられた。そんな宮中で、ひときわ強い存在感を放っていたのが端宗の叔父にあたる首陽大君(スヤンデグン)だ。彼は4代王・世宗(セジョン)の二男であり文宗の弟だ。
金宗瑞と首陽大君
首陽大君は、1453年10月10日に側近たちを自邸に集めて決起集会を開いた。
「まずは憎き金宗瑞(キム・ジョンソ)を討つ!」
そう決断した首陽大君は、端宗の最大の後見人である金宗瑞の屋敷に自ら乗り込んでいこうとした。
直接的に首陽大君が従者にしたのは二人だけだった。その二人はそれぞれ鉄槌と刀を隠し持っていた。
首陽大君は従者二人と金宗瑞の屋敷の門に立った。迎えたのは金宗瑞の息子の金承圭(キム・スンギュ)だった。
金承圭は首陽大君の訪問をいぶかしく思った。しかし、王族の重要人物だけにむげにできなかった。金承圭は父に首陽大君の来訪を告げた。それを聞いて、金宗瑞は門のところまで出てきた。
門をはさんで向かい合った金宗瑞と首陽大君。二人はともに一定の距離を保った。
その後、首陽大君は金宗瑞の隙を見逃さず、従者に金宗瑞を襲わせた。従者は隠し持っていた鉄槌を取り出して、それを思いっきり振りおろした。
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端宗(タンジョン)から王位を奪った世祖(セジョ)!朝鮮王朝全史5
首陽大君(スヤンテグン)〔世祖(セジョ)〕が開いた秘密会議!
甥の端宗(タンジョン)から王位を奪った世祖(セジョ)の悲劇とは?