仁穆(インモク)王后は仁祖(インジョ)に光海君(クァンヘグン)の斬首を主張!

9年も長く生きた

仁穆王后が言った。
「嗣君(サグン/王位を継いだ人のこと)はりっぱな大人です。なぜ、百官たちの指示に従う必要があるのですか。父母の仇とは同じ空の下で生きることはできないし、兄弟の仇とは同じ国で生きることはできないのです。逆魁が自分で母子の道理を破り、私にはかならず晴らさなければならない怨みがあり、これだけは絶対に譲ることができない」
すると、臣下の一人が言った。
「かつて中宗(チュンジョン)殿下は廃位にした君主(燕山君〔ヨンサングン〕のこと)を優待し、天命を終わらせました。この事例に学ぶべきです」




「逆魁は悪行のかぎりを尽くしました。どうして、燕山君と比較することができるのですか」
後世から見ると、燕山君は大虐殺を行なった暴君だが、仁穆王后は光海君より燕山君のほうがずっと罪が軽いと言っている。もはや彼女は恨みが骨髄に達し、光海君の首をはねることしか頭にないかのようだった。
この問答はさらに続き、仁穆王后は執拗に光海君の斬首を主張した。しかし、廃位にした王をさらし首にすることだけは、綾陽君も臣下の者たちも容認できなかった。クーデターの大義名分すら確立させていないというのに、先王まで斬首にしたら、正統性を得ることはできない。むしろ、追放した王に対して度量の大きさを見せてこそ新しい王が正統性を維持できる、と綾陽君は考えていた。
実際、綾陽君が16代王・仁祖(インジョ)として即位したあとも、仁穆王后は執拗に光海君の斬首を主張したが、仁祖はその言葉に従わなかった。
結局、光海君はクーデターから18年後に済州島(チェジュド)で世を去った。最終的には、仁穆王后より9年も長く生きたのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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