老論派は敵
正宮として建てられた訳ではない慶熙宮は、王が執務をする場所として手狭なうえ、賊の侵入を許しやすい構造になっていた。
それがわかった以上、慶熙宮を正宮として使い続ける訳にはいかない。対策としては遅すぎる感もあったが、正祖は昌徳宮を改修して正宮を移した。
さらに、自身の身を守る親衛隊を強化し、以前より厳重な警戒を行なった。
正祖が何よりも警戒したのが老論派(ノロンパ)だ。敵対するこの勢力は、即位後の正祖に数々の妨害行為を行なっていた。
中でも、老論派の代表的な家柄である洪啓禧(ホン・ゲヒ)の一族は、執拗に正祖の命を狙った。国父である王も派閥にとっては敵でしかなかったのだ。
洪啓禧の孫であった洪相範(ホン・サンボム)も、父や叔父たちが流罪となり没落すると、正祖を憎み、栄華を取り戻そうとした。(ページ3に続く)
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