ついに……
高宗への批判が強まり、彼の周囲には不穏な空気が漂っていた。それでも、高宗はロシアに頼らざるをえなかった。大韓帝国の親露政策はますます強くなり、それに危機感を持った日本はロシアとの対決姿勢を鮮明にした。その結果、1904年に日露戦争が起こった。
この戦争は日本が勝利し、ロシアは朝鮮半島での影響力を完全に失った。代わって日本は1905年に大韓帝国との間で保護条約を結び、この地の外交権を剥奪して支配を強めていった。
1907年、オランダのハーグで行なわれた平和会議に高宗が密使を送って日本を糾弾しようとしたことが大問題となり、高宗は退位を余儀なくされた(その後、1919年に亡くなっている)。
次の皇帝には高宗の息子が選ばれ、27代王の純宗(スンジョン)となった。
純宗は即位しても、日本の指示をただ聞くだけの飾りの王だった。大韓帝国の各地では、抗日の戦いが起こっていたが、それらは日本の軍事力によって完全に抑え込まれた。そして、1910年8月に日韓併合が行なわれ、朝鮮半島は日本の植民地となった。ここに朝鮮王朝は滅亡したのである。
最後の王だった純宗は、日本から「李王」と呼ばれ、一応は王の待遇を受けた。しかし、純宗にはなんの実権も与えられないまま、生涯を王宮で過ごし、1926年4月25日に52歳で亡くなった。
こうして朝鮮王朝の27人の王の物語は幕を閉じた。
文=慎 虎俊(シン ホジュン)
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