国号は「大韓帝国」
1884年、閔妃一派を打倒しようとする政変が起きた。これは清の介入によって3日で鎮圧されるが、政府内の混乱は全土に波及し、朝鮮半島は収拾がつかないような状態に陥っていった。1894年には清に依存する閔妃一派に対して決起した「甲午農民戦争」という大規模な反乱も起きている。
そんな中、日本と清は朝鮮半島の利権を争って対立し、1894年に日清戦争が勃発した。この戦争は日本の勝利に終わり、朝鮮王朝から清の勢力が一掃された。
親清派だった閔妃は自分の立場が弱くなったことを嘆き、今度はロシアの助けを借りて日本を追い出そうとした。しかし、その動きを事前に察知した日本は1895年に閔妃を暗殺して完全に朝鮮王朝を影響下に置いた。
閔妃が暗殺されたことに恐怖を感じた高宗は、「次は自分かもしれない」と脅え、秘密裏にロシアに救援を求めた。1896年、高宗は宮中に戻らずロシアの領事館にたてこもって親露政策を発表し、親日派の要人たちを逆賊として厳しく処罰していった。
王が他国の領事館で政務を行なっていることは、庶民に大きな不安を与えた。高宗は、そうした声が高まるのを感じると、王宮に帰らざるをえなくなった。
1897年、1年ぶりに宮中に戻った高宗は国号を「大韓帝国」と改めて、自分を初代皇帝と名乗るようになった。
しかし、急激な変化を受け入れない人も多かった。(ページ3に続く)
高宗(コジョン)の父と閔妃(ミンビ)の争い!朝鮮王朝全史26
憲宗(ホンジョン)と哲宗(チョルチョン)の不幸!朝鮮王朝全史25