一番悲劇的な王子
いつまでも自害しないイ・ソンに激怒した英祖は、中庭に米びつを運ばせて、その中にイ・ソンを閉じこめてしまった。
しかも、水も食物も与えなかった。
一時の感情でイ・ソンを米びつに閉じ込めたとしても、一晩寝て冷静になってから英祖もイ・ソンを許すべきだった。
しかし、頑固な英祖は決してそうはしなかった。結局、イ・ソンはずっと米びつに閉じ込められたままであった。そして、8日目に米びつを開けてみたら、すでにイ・ソンは餓死していた。
そこまで事態が悲劇的になった後で、英祖は自分があまりにも大変なことをしてしまったことを後悔した。
そして、イ・ソンを心から悼む気持ちから「思悼世子(サドセジャ)」という諡(おくりな)を贈った。
英祖は、何とむごいことをしてしまったのだろうか。すべては取り返しのできないことであった。
こうして、イ・ソンこと思悼世子は、朝鮮王朝で一番悲劇的な王子として名前を歴史に残すことになった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)〔第1回/老論派の陰謀〕