イ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の餓死!朝鮮王朝全史22

 

1724年に21代王として即位した英祖(ヨンジョ)は、官僚たちの各派閥から公平に人材を登用する政策を実施して、政権の安定を築いた。このように善政を続けていた英祖だが、長く王の座にいると、様々なほころびが出てくるものである。特に彼を悩ませたのが後継者問題だった。

親子の確執

もともと、英祖の子供は女の子ばかりで、25歳の時に生まれた待望の長男・孝章(ヒョジャン)は、わずか9歳で病死してしまった。男子が生まれないことに苦悩する英祖だったが、1735年、40歳を過ぎてようやく二男の荘献(チャンホン)をさずかることができた。この荘献がイ・ソンのことであり、後に思悼世子(サドセジャ)と呼ばれた。
よほどうれしかったのだろう。英祖はまだ1歳だった二男を早くも世子(セジャ/王の後継ぎ)に指名した。この荘献は10代前半から英祖に代わって政治を取り仕切ることも多かった。




英祖の期待を一身に背負った荘献。しかし、彼の周りには権力を手に入れようとする奸臣が集まり始めた。そういう環境に身を置いた荘献は、次第に政務に身が入らなくなっていき、享楽的な日々を過ごした。
このことは英祖の大きな怒りを買った。
普段は穏やかな英祖。しかし、一度かんしゃくを起こすと手がつけられないという一面を持っていた。
また、荘献を嫌う一派が彼を陥れるために、良からぬ行状を英祖に報告した。こうして荘献の立場は悪くなる一方だった。(ページ2に続く)

世子の「イ・ソン」と言えば思悼世子(サドセジャ)のこと!

思悼世子(サドセジャ)!米びつで餓死した王子

最高実力者になった李成桂(イ・ソンゲ)!朝鮮王朝全史1

トンイから徹底的な教育を受けた英祖(ヨンジョ)!朝鮮王朝全史21

英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)に確執が生まれた日

固定ページ:

1

2 3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る