発掘!トンイの正体をめぐって3つの説が噂されていた

 

19代王の粛宗(スクチョン)の側室として張禧嬪(チャン・ヒビン)と激しいライバル関係にあったのが淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)だ。彼女に関係する噂とは何なのか。




謎めいたトンイの存在

淑嬪・崔氏はドラマ『トンイ』の主人公になった女性である。
実は彼女の素性はわからないことが多く、3つの説がある。
それを具体的に見ていこう。
1つは、7歳のときにムスリ(下働きをする女性)として王宮に入ってきたという説があった。
王宮の中では、水をくむとか掃除をするとか、そういう下働きをする女性が多くいた。女官というのは一応はエリートの女性であって、下働きはしない。一方、水をくむというのは大変な重労働で、こういう仕事は身分が低い人たちにやらせていた。そのムスリの1人が淑嬪・崔氏だったというのだ。
第2の説は、仁顕(イニョン)王后が1681年に粛宗の二番目の正室として宮中入りしたとき、淑嬪・崔氏も下女として一緒についてきたというものだ。
第3の説は謎めいている。水くみのムスリに違いはないのだが、すでに結婚していて子供が2人いたというものだ。




そもそも、女官というのは未婚でなければなれない。ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でもわかるように、5歳くらいに見習いとして宮中に入ってきた女の子が、10数年の修業を経て一人前の女官になっていく。
その一方で、ムスリは結婚していても問題はなかった。しかし、後に粛宗の寵愛を受ける淑嬪・崔氏にすでに子供が2人いた、というのは本来ありえない。
しかし、噂が出ること自体が彼女の謎めいた存在を暗示している。
果たして、3つの説の中でどれが真実に近いのか。
いずれにしても、『トンイ』のように明朗活発な女性でなかったことは確かなようだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

トンイ(淑嬪・崔氏)は陰で何を画策していたのか?

張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々!

張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日!

張禧嬪(チャン・ヒビン)の死罪!朝鮮王朝の重大な事件簿6

トンイVS張禧嬪(チャン・ヒビン)/宿命の対決1〔出会い編〕

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る