陥れられた世子
英祖の二番目の正室となった貞純(チョンスン)王后も、老論派の重要な家門の出身であった。
彼女もまた、イ・ソンの悪評を英祖の耳に入れた張本人の1人だ。
このように、イ・ソンは老論派に囲まれるような形になっていて、悪意のある人たちが彼を陥れようとしていた。
1762年、老論派の指示を受けた官僚が「世子が謀叛を起こそうとしています」という訴えを起こした。
英祖の場合、本来なら息子を信じなければいけないのに、逆にその告発を真に受けてしまった。
英祖はイ・ソンをきつく叱責した。
とにかく、かんしゃく持ちだった英祖は、一度激怒すると抑えがきかないところがあった。
イ・ソンは王宮の中庭で、英祖に対して平伏しながら許しを乞うたのだが、適切な弁明をすることができず、さらに窮地に追い込まれていった。
後日、イ・ソンは英祖によって自害を命じられた。
しかし、イ・ソンは自害をせずにただ泣き崩れているだけだった。(ページ4に続く)
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)〔第1回/老論派の陰謀〕