NHKが放送する『仮面の王 イ・ソン』には、ユ・スンホが演じる世子(セジャ)としてイ・ソンという人物が登場する。実際の歴史を見ると、朝鮮王朝の王家にいたイ・ソンと言えば、思悼世子(サドセジャ)のことである。彼は果たして、どのような人物だったのだろうか。
主流派閥を批判
古今東西の世界の歴史を見ても、国王が皇太子を米びつに閉じ込めて餓死させるという悲劇は、どこにも見られないだろう。
あまりにも悲惨な出来事だ。しかし、それが実際に朝鮮王朝の歴史では起こってしまったのだ。
その悲劇があったのは1762年だった。
このときの国王が21代王の英祖(ヨンジョ)であり、餓死した息子がイ・ソンであった。なぜ、このような悲惨なことが起こったのか。
その背景を見ていこう。
英祖は、人材を活用することが巧みな王であった。そういう点では名君に値する。しかし、自分の息子に対してはどうだったのか。
息子のイ・ソンは、1735年に生まれた。幼少のころから頭脳明晰で、英祖は大いに期待した。
そこで、英祖はイ・ソンが10歳を過ぎると政治の表舞台に登場させて、現場で帝王学をしっかり学ばせようとした。
しかし、あまりにも頭が良かったイ・ソンは、当時の主流派閥であった老論派(ノロンパ)を批判してしまった。(ページ2に続く)
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)〔第1回/老論派の陰謀〕