漢詩の扁額が飾られている
福禅寺の大広間を対潮楼と呼んだのは、そのときの正使だった。彼は息子に命じて、大きな紙に対潮楼と揮毫させた。そして、「海上から見えるようにしてほしい」と希望したという。そこで寺主は、この書を寺の外の海側に掲げた。
しかし、潮風で早く傷むのは目に見えている。そこで、福山藩主の阿部正福は書を扁額に仕立てて寺に寄贈したという。
以来、福禅寺の大広間は対潮楼と命名され、瀬戸内海の絶景が見える客間として有名になった。
この対潮楼には、朝鮮通信使たちの漢詩が扁額となってたくさん飾られている。今はそこから瀬戸内海の景色を改めて見る。
向かいの島にはコンクリートの建造物も見えているから、朝鮮通信使が見た風景とそっくり同じではない。しかし、海と空は当時と変わらない。すばらしい色合いだ。
向かいの島へ行く渡し船が、スーッと海上を走っていくのが見えた。瀬戸内海はどこまでも穏やかで、そして優雅である。
日東第一形勝。
300年前に、朝鮮通信使の人たちがそう形容した気持ちがよくわかる。美しい風景が心にゆっくりしみ込んでくる。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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