11代王・中宗の誕生
王宮に攻め込もうとしている成希顔たちは、王宮の門が開けるのを今か今かと待っていた。
その動きを察知した王宮の兵士たちは、誰ひとり王を守ろうとせず、逃げ出す者もいた。早くも、夜が明けて門が開く前に、勝負は決した。
周囲に見放された燕山君は、クーデター軍を押し返すことができなかった。ただ、彼は最後まで暴君としての虚勢を崩さなかった。
「王に向かって剣を向けるとは何ごとだ。誰かいないのか。早くこの反逆者たちを処刑しろ」
そんな燕山君に対して成希顔は言った。
「もはや殿下のために剣を持とうとする者は、この国にはいないでしょう。命までは奪いませんが、王の座から退いていただきます」
こうして、「中宗反正」と呼ばれるクーデターが成功した。多くの血にまみれた燕山君の時代は終わりを告げた。
彼は王位を剥奪され、江華島(カンファド)に島流しとなった。そして、2カ月後の1506年11月に31歳で人生を終えた。
王としての盛大な葬儀は行なわれず、王子の待遇で葬られた。彼の墓は現在もソウルに実在する。しかし、「燕山君之墓」という墓碑銘の他に一切の装飾もない。
一方、当初にはかたくなに王になることを拒否した晋城だが、周囲から説得され、ようやく王位継承を承諾した。こうして11代王の中宗(チュンジョン)が誕生した。
彼の前に、クーデターによって王位に就いた王が2人いる。3代王の太宗(テジョン)と7代王の世祖(セジョン)だ。この2人は自らの意思によって反乱を起こしたが、中宗は臣下たちによって王に祭り上げられた。
それだけに即位してからは、クーデターの首謀者たちに頭が上がらず、思いどおりに王権を振るうことが難しかった。
文=慎虎俊(シン・ホジュン)