元の権力を握った皇后
奇皇后は、トゴン・テムルに寵愛されていることを武器に元での影響力を強めた。彼女は、自分を見出してくれた高龍普と結託して財政を手中に収めると、政治や人事に意見をするようになった。さらに、人事権を握った奇皇后は、自分と同じ地方出身の宦官を軍事の最高責任者に任命し、強大な武力までも手に入れた。
財政や武力を手にした奇皇后の次の目標は、息子のアユルシリダラを皇太子にすることだった。正妻であるバヤン・フトゥクが亡くなったわけではないので、周囲からは大きな反対が起こったが、彼女はその反対を押し切って、1353年に息子のアユルシリダラを皇太子にした。
元の実権を握っていた奇皇后の影響は高麗にまで伝わった。彼女は、父親である奇子敖に栄安王(ヨンアンワン)という王名を贈り、先祖3代を王として追尊した。さらに奇皇后の兄である二男の奇轍(キ・チョル)は、元の宰相職である参知政治(中国の唐代から明代まで存在した官職名)となり、三男の奇轅(キ・ウォン)は文官の中でも位の高い翰林学士に任命されている。
現代の韓国で、奇皇后は悪女として評判が悪い。その理由は、奇轍を中心とした奇一族が繁栄のために、農場や土地を強引に奪ったり、その住人を強制的に奴婢(ぬひ)にしてしまったりと、傍若無人な振る舞いをしたからだ。(ページ3に続く)