壮絶な最期
野史(正式な歴史書ではなく民間に伝承している歴史書)によると、世祖の命令で毒薬を持参した使者は、それを渡すことができず、ただ端宗の前で身を伏せるばかりだったという。
それを見た端宗が意を決して自分の首に緒を結び、窓の外にいた者にそれを引っ張れと命じたそうだ(あるいは、端宗が強引に首をしめられた、という説も残っている)。
端宗の最期は後世の語りぐさになっているが、その遺体は放置された、と野史は伝えている。
しかし、心ある者が処罰されるのを承知で丁重にとむらったという。
端宗の話は、調べれば調べるほど心が痛む。王となりながら、彼はなぜこれほどひどい仕打ちを受けなければならなかったのか。
そんな端宗は、あの世で生母の顕徳王后に会うことができたのだろうか。そんなふうに想像するだけで、端宗を哀悼する気持ちに少しの救いがもたらされる。
文=康 熙奉(カン ヒボン)