死罪を命じられた
端宗が即位したとき、彼はまだ11歳の未成年だった。こういうときに朝鮮王朝では生母が摂政をして王が成人するのを待つのだが、端宗の場合は生母がいなかったので後ろ楯を得られなかった。
それが叔父の首陽大君につけこまれる根拠となってしまった。
強引に端宗を譲位させて首陽大君が7代王・世祖(セジョ)となると、高官たちによって端宗の復位騒動が起きた。
それが歴史上有名な「死六臣」の事件だ。忠臣たちが世祖の暗殺を狙ったのだが、結果的に失敗してしまった。
世祖は再び復位騒動が起きないように、端宗を僻地に流罪としたあげくに、ついに死罪を命じた。
1457年のことで、端宗はまだ16歳だった。(ページ3に続く)