正祖の唯一の失敗
その政策の拠点となったのが、奎章閣(キュジャンガク)である。奎章閣は、歴代王の資料を保管したり、書籍の編纂を行なう王室の図書館です。そこに、これまで厳しい身分制度によって優秀でありながらも登用されなかった人たちが集まり、正祖の善政に貢献した。正祖は、他にも政治や経済で多くの業績を生んだり、庶民の生活水準を向上させた。そんな彼の唯一の失敗は、祖母である貞純王后を厳しく罰しなかったことだ。
1800年、名君として多くの功績を残した正祖が亡くなるが、宮中では「貞純王后に毒殺されたのではないか」という噂が広まった。その理由は、「正祖の最期を看取ったのが彼女だけであること」や「正祖が亡くなったことで一番得する人物」などがある。
正祖の後を継いだのは23代王・純祖(スンジョ)。しかし、彼はまだ10歳だったため、王族の最長老女性だった貞純王后が代理で政治を行ない、自分の息のかかった者たちを要職に就け、正祖が進めていた改革をすべて潰してしまう。これが正祖にとって最大の不幸だったのは間違いない。
文=康 大地(コウ ダイチ)