英祖の後悔
米びつに閉じ込められた荘献は、水も食べ物も与えられないまま過ごした。彼の息子の祘(サン)は、「父上をお助け下さい」と英祖に懇願するも、その願いは聞き入れられなかった。その結果、8日目に荘献が米びつの中で亡くなっているのが発見されたが、いつ亡くなったのかに関しては定かではない。
それから時が経つにつれて英祖は、荘献を手に掛けたことを後悔するようになり、「世子の死を追悼する」という意味を込めて、「思悼世子(サドセジャ)」という尊号を贈っている。
さらに、英祖の息子を追悼する気持ちが深まり、荘献の子である祘を立派な王にしようとする。しかし、そのことに恐怖を感じたのが老論派だ。彼らは、報復を受けることを恐れて何度も刺客を送り込んだりして阻止しようとしたが、祘は機転を利かせて逃れている。
それ以降も暗殺されることを警戒した祘は、寝るときも服を着替えなかったという。そのような緊迫した状況が続く中、1776年3月5日に英祖が82歳で世を去った。彼は、朝鮮王朝で一番長生きした王である。
その英祖の後は、荘献の息子の祘が後を継いで22代王・正祖(チョンジョ)として即位した。正祖は、韓国時代劇『イ・サン』の主人公となった王で、命を狙われながらも政務を行なった名君として有名である。
文=康 大地(コウ ダイチ)
英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)〔第1回/老論派の陰謀〕