英祖〔ヨンジョ〕/朝鮮王朝おどろき国王列伝4

険悪となった親子関係

1719年、英祖は長男の孝章(ヒョジャン)を授かるが、わずか9歳で世を去ってしまう。息子の早世を英祖はとても悲しんだが、1735年に二男の荘献(チャンホン)が生まれた。彼は、2歳のころに朝鮮王朝時代の国教だった儒教の教典の1つである「孝経(ヒョギョン)」を暗唱したという。
幼くしてそれほどの聡明ぶりを見せた荘献だが、10歳のときにいくつかの政治を批判してしまったことで、老論派から警戒されてしまう。14歳になった荘献は、政治の一部を代行することになるが、それによって荘献と老論派の相性の悪さが決定的となった。
老論派は、荘献の素行の悪さを英祖に報告した。そういった話を聞くごとに、英祖は息子を何度も呼んで、激しく叱責するようになった。結果、荘献は次第に言うことを聞かなくなり、英祖と荘献の父子の関係が険悪になった。その一方で、老論派は荘献を陥れる策を続けた。




その策の首謀者は、英祖の二番目の正室である貞純(チョンスン)王后、荘献の妻である恵嬪(ヘビン)・洪(ホン)氏の叔父の洪麟漢(ホン・イナン)、荘献の妹の和緩(ファワン)など。荘献の周りは敵だらけだったのである。そんな状況の中で、荘献は妓生(キセン)と放蕩(ほうとう)を繰り返すようになったし、側室を殺害するという犯罪を犯している。さらに、老論派にそそのかされた官吏が、荘献が謀叛を企んでいること英祖に訴えた。
それを聞いた英祖は息子に自決するように言うが、荘献は許しを請うばかりで自決しようとはしなかった。痺れを切らした英祖は、荘献を米びつに閉じ込めてしまい、「このフタは決して開けてはいけない」と言った。(ページ3に続く)

英祖(ヨンジョ)と思悼世子(サドセジャ)〔第1回/老論派の陰謀〕

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