仁穆(インモク)王后!光海君への復讐に燃えた王妃

光海君の死を望む仁穆王后

仁穆王后は、光海君に強い怨みを抱いていた。自分の息子である永昌大君を殺害されたあげく、慶運宮に幽閉されたのだから当然である。
彼女は、綾陽君に「この日が来ることを幽閉されてからずっと待っていました。光海君は私の手で処刑したい」と言った。
しかし、仁穆王后のその命令を実行するのは難しかった。なぜなら、今までに臣下の者たちが、追放された王を処刑したことがないからだ。それでも、仁穆王后は「私は必ず怨みを晴らさなければならないのです」と言った。
それに対して臣下の1人が、「11代王の中宗(チュンジョン)様が、10代王の燕山君(ヨンサングン)を廃位にしたときの事例を参考にしてみてはいかがでしょう」と述べたが、仁穆王后にとっては、燕山君の罪よりも光海君の罪のほうが重かった。その後も問答は続くが、彼女は光海君を斬首にすべきという主張を変えなかった。




一方の綾陽君は、いくら廃位にしたとはいえ、先王を斬首にすれば、大きな批判が起こることを知っていて、仁穆王后の主張を容認することはできなかった。
こうした仁穆王后の主張は、1623年に綾陽君が16代王・仁祖(インジョ)として即位した後も続いた。仁祖は彼女の言い分を聞かずに、光海君を江華島(カンファド)に流罪にした。
1632年、仁穆王后は世を去った。一方、多くの人から怨みを買った光海君は、最終的に済州島(チェジュド)に流され、廃位から18年後の1641年に世を去っている。
仁穆王后にとって、光海君の死を見届けることができなかったことが、一番の心残りだったことは間違いない。

文=康 大地【コウ ダイチ】
提供=「ロコレ」

ページ:
1 2

3

関連記事

ピックアップ記事

必読!「悪女たちの朝鮮王朝」

本サイトには、「悪女」というジャンルの中に「悪女たちの朝鮮王朝」というコーナーがあります。ここでは、朝鮮王朝の歴史の中で政治的に暗躍した女性たちを取り上げています。
朝鮮王朝は儒教を国教にしていた関係で、社会的に男尊女卑の風潮が強かったのです。身分的には苦しい境遇に置かれた女性たちですが、その中から、自らの才覚で成り上がっていった人もいます。彼女たちは、肩書社会に生きる男性を尻目に奔放に生きていきましたが、根っからの悪女もいれば、悪女に仕向けられた女性もいました。
「悪女たちの朝鮮王朝」のコーナーでは、そんな彼女たちの物語を展開しています。

もっと韓国時代劇が面白くなる!

韓国時代劇によく登場する人物といえば、朝鮮王朝の国王であった中宗、光海君、仁祖、粛宗、英祖、正祖を中心にして、王妃、側室、王子、王女、女官などです。本サイトでは、ドラマに登場する人物をよく取り上げています。

ページ上部へ戻る