676年に朝鮮半島を統一
7世紀前半、軍事的に高句麗や百済より優勢となった新羅。そうなると新羅は、高句麗と百済の両方から激しく攻撃を受けるようになった。
やはり、一国で2つの国と戦いを繰り広げるのは辛い。そこで新羅は、中国大陸の巨大王朝との連携を図ろうとした。
これは中国大陸を支配していた唐にとっても渡りに舟だった。当時、唐は何度も高句麗を攻めていたが、その度に失敗し苦汁をなめていた。そこで、唐は新羅との連合を受け入れた。
さらに、新羅では金春秋(キム・チュンチュ)の活躍がすばらしかった。彼は654年に即位して武烈王(ムヨルワン)となり、先頭に立って新羅を強国に導いた。唐との連合も功を奏し、新羅は660年に百済を滅ぼし、668年には高句麗も滅亡させて三国時代を終わらせた。
新羅・唐の連合軍は朝鮮半島の覇者となったが、唐は百済や高句麗の領土を独自に占領しようと企んだ。
当然ながら、新羅がこれを許すわけがない。
両国は激しく武力衝突したが、祖国の統一に執念を見せた新羅は唐の大軍を撃破。676年に真の意味で朝鮮半島の統一に成功した。
部族国家の林立から三国時代という大きな潮流を経て、ここに新羅は朝鮮半島で初の統一国家を築いたのである。(ページ3に続く)