韓国時代劇『華政〔ファジョン〕』で主人公となった貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)。劇中の彼女は、時の権力者である仁祖(インジョ)に対して一歩も引かなかった。非常に気丈で闘争心あふれる女性として描写されている。
しかし、史実における彼女の姿は少し異なる。その人生は、波乱に満ちた受難の連続であった。特に、10代の貴重な日々の大部分を外界から隔絶されて過ごしていた。それは、異母兄にあたる光海君(クァンヘグン)の命令であった。
彼女は実母の仁穆(インモク)王后とともに離宮に閉じ込められた。王女としての特権などない。いつ命を狙われるかわからない恐怖のなかで、息を潜めるしかなかったのだ。
クーデターによる解放と遅れた結婚
運命が大きく動いたのは1623年のことである。宮廷内で大規模なクーデターが勃発した。世に言う「仁祖反正」である。これにより光海君は王の座から引きずり下ろされた。
代わって仁祖が新たな君主として即位する。この政変によって幽閉生活は終わりを告げた。仁穆王后と貞明公主は、ようやく自由の身となったのである。
だが、このとき彼女はすでに20歳に達していた。当時の王室の慣習からすれば、結婚の適齢期を完全に逃している。幽閉されていたのだから、縁談などあるはずもない。
これに焦ったのが母の仁穆王后であった。娘の幸せを願い、血眼になってふさわしい伴侶を探し求めた。その結果、3歳年下の洪柱元(ホン・ジュウォン)という青年が選ばれる。こうして彼女は、ようやく平穏な家庭を築く一歩を踏み出した。
忍び寄る政治の影
結婚後の貞明公主には、目を見張るほどの恩恵が与えられた。王室から豪奢な邸宅が下賜された。さらに、広大な領地も手に入れた。王宮の外で、何不自由ない豊かな生活を送ることになる。
一説によれば、当時の朝鮮王朝において、彼女は女性として随一の大地主であったという。莫大な富を所有し、優雅な日々を謳歌した。しかし、運命は再び暗転する。1632年、最大の庇護者であった母の仁穆王后がこの世を去った。これを境に、仁祖の態度は急変する。冷酷な視線を向けるようになったのだ。彼女の莫大な財産や影響力が警戒されたのかもしれない。
事実、彼女を陥れようとする陰謀の噂も絶えなかった。処罰される寸前という危機にも直面した。それでも極刑を免れたのは、「公主」という最高位の身分があったからである。
私生活に目を向けると、彼女は子宝に恵まれた。夫の洪柱元との間に7男1女をもうけたのである。合計8人の子供を育てる立派な母親であった。政治の嵐が吹き荒れるなかで、家族の存在が大きな支えになったことは間違いない。
激動の時代を生き抜いた強さ
月日は流れ、1682年になった。79歳という高齢を迎えた彼女は、息子たちに向けて一通の書状を書き残している。そこには、長い苦難の人生から得た「生き抜くための哲学」が記されていた。「他人の悪口を口にするな」。そう彼女は戒めている。さらに「他人の欠点をあげつらうな」「政治の派閥争いや法律が絡む問題には関わるな」と強く忠告した。そして何よりも、「子孫たちが互いに助け合い、仲良く暮らすこと」を求めたのである。
結局、貞明公主の生涯は、苦難の連続であった。幼い頃の幽閉生活に始まり、身内の冷遇や政治的な謀略の恐怖を味わった。それでも彼女は、運命に押しつぶされることはなかった。必死に耐え忍び、正しい道を歩もうと努力し続けた。
彼女が遺した教訓は、激動の時代を無事に生き残ってほしいという、子供たちへの深い愛情の表れであった。
揺るぎない信念と強い芯を持った貞明公主は、1685年に静かに息を引き取った。享年82歳。過酷な時代としては驚異的な長寿を全うしたのである。
画像=MBC
文=康 熙奉(カン ヒボン)






