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過去の記事一覧
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世界遺産となった上野三碑の中の多胡碑とは?
ユネスコの「世界の記憶」に群馬県の「上野三碑(こうずけさんぴ)」が選ばれたが、その1つが多胡碑である。この多胡碑は、高崎駅から上信電鉄に乗って吉井駅で下りると、北東1.5キロのところにある。 [… -
朝鮮王朝の女官が所属した内命婦(ネミョンブ)とは?
どの王朝にもかならず裏を仕切る女官たちが存在し、厳しい権力闘争を繰り返してきた。日本では「大奥」、そして、朝鮮王朝では「内命婦(ネミョンブ)」である。朝鮮王朝の女官たちの組織をのぞいてみれば……。 … -
中宗(チュンジョン)と趙光祖(チョ・グァンジョ)!朝鮮王朝全史11
1506年に即位した中宗(チュンジン)は、燕山君が行なった悪政を正すことに全力を注いでいった。まず、伝統的な学び舎である成均館(ソンギュングァン)の復活を急ぎ、虐殺事件によって被害を受けた人たちの名誉… -
中宗(チュンジョン)が即位!朝鮮王朝全史10
多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。 国家の一大事 … -
イ・ヨン/孝明世子(ヒョミョンセジャ)はどのように亡くなったのか
23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれた孝明世子(ヒョミョンセジャ)。ドラマ『雲が描いた月明り』ではイ・ヨンという名で登場している。早世した彼の最期の日々を追ってみよう。 [c… -
孝明世子(ヒョミョンセジャ)/イ・ヨンの実母の純元(スヌォン)王后は誰?
『雲が描いた月明り』では世子のイ・ヨンの生母は死んだことになっていたが、実際の母は純元(スヌォン)王后と言って、19世紀前半の朝鮮王朝で女帝のようにふるまった怪女であった。果たして、どんな女性だったの… -
孝明世子(ヒョミョンセジャ/名はイ・ヨン)はどれほど優秀だったのか?
『雲が描いた月明り』の主人公になっていたイ・ヨンは孝明世子と呼ばれた。彼は23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれたが、5歳で世子になり、頭脳明晰な後継ぎとして有名だった。 [c… -
イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)の父の純祖(スンジョ)は誰?
『雲が描いた月明り』では、世子のイ・ヨンの父である国王の純祖(スンジョ)が、官僚たちに言いように政治を仕切られてしまうという無力ぶりが目立っていた。果たして、実際の純祖はどのような王であったのだろうか… -
イ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)はどんな人だったのか?
『雲が描いた月明り』で主人公になっていたイ・ヨンは歴史上では孝明(ヒョミョン)世子という名でよく知られている。聡明で名君になる素質が十分だったのに、彼の才能が日の目を見ることはなかった。なぜ、そうだっ… -
母の死の真相を知った燕山君(ヨンサングン)!朝鮮王朝全史9
王が絶対的な権力を持つ朝鮮王朝では、王が名君ならば平穏な時代が流れ、暴君ならば混乱をきわめた。10代王の燕山君(ヨンサングン)は最悪の暴君であり、朝鮮王朝がもっとも血に染まった時代だ。 燕山…