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過去の記事一覧
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文定(ムンジョン)王后に翻弄された明宗(ミョンジョン)!朝鮮王朝全史13
文定(ムンジョン)王后の息子の慶源(キョンウォン)は、1545年に13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。彼は学問を好み性格も温和だったが、まだ幼かったために強引な母に頭が上がらなかった。実権の… -
仁宗(インジョン)を毒殺した文定(ムンジョン)王后!朝鮮王朝全史12
1544年、朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)は臣下たちの権力争いに苦しめられていた。そうした気苦労は中宗の体調を悪化させた。病に倒れた中宗は、長男に王位を譲った翌日に亡くなった(文定王后につい… -
内侍府(ネシブ)とは何か?/『雲が描いた月明り』に登場
朝鮮王朝を舞台にした韓国時代劇には、王宮で勤務する様々な官僚や女官が登場するが、その中でも特に出番が多いのが内侍府(ネシブ)の内官(ネグァン)たちである。なぜなら、彼らはピッタリと王族に密着していたか… -
鞆の浦!世界遺産になった朝鮮通信使の足跡を訪ねて
ユネスコの「世界の記憶」に登録された「朝鮮通信使に関する記録」。このことで、日韓でも朝鮮通信使に対する関心が高まるだろう。その朝鮮通信使の足跡を訪ねるなら、広島県福山市の「鞆(とも)の浦」がお勧めだ。… -
世界遺産となった上野三碑の中の多胡碑とは?
ユネスコの「世界の記憶」に群馬県の「上野三碑(こうずけさんぴ)」が選ばれたが、その1つが多胡碑である。この多胡碑は、高崎駅から上信電鉄に乗って吉井駅で下りると、北東1.5キロのところにある。 [… -
朝鮮王朝の女官が所属した内命婦(ネミョンブ)とは?
どの王朝にもかならず裏を仕切る女官たちが存在し、厳しい権力闘争を繰り返してきた。日本では「大奥」、そして、朝鮮王朝では「内命婦(ネミョンブ)」である。朝鮮王朝の女官たちの組織をのぞいてみれば……。 … -
中宗(チュンジョン)と趙光祖(チョ・グァンジョ)!朝鮮王朝全史11
1506年に即位した中宗(チュンジン)は、燕山君が行なった悪政を正すことに全力を注いでいった。まず、伝統的な学び舎である成均館(ソンギュングァン)の復活を急ぎ、虐殺事件によって被害を受けた人たちの名誉… -
中宗(チュンジョン)が即位!朝鮮王朝全史10
多くの血が流れた「甲午士禍」が終わった後の宮中は、無残な荒野のようだった。二つの虐殺事件の後、燕山君(ヨンサングン)の暴政はさらに悪化していき、庶民の暮らしは貧窮を極めた。 国家の一大事 … -
イ・ヨン/孝明世子(ヒョミョンセジャ)はどのように亡くなったのか
23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれた孝明世子(ヒョミョンセジャ)。ドラマ『雲が描いた月明り』ではイ・ヨンという名で登場している。早世した彼の最期の日々を追ってみよう。 [c… -
孝明世子(ヒョミョンセジャ)/イ・ヨンの実母の純元(スヌォン)王后は誰?
『雲が描いた月明り』では世子のイ・ヨンの生母は死んだことになっていたが、実際の母は純元(スヌォン)王后と言って、19世紀前半の朝鮮王朝で女帝のようにふるまった怪女であった。果たして、どんな女性だったの…