19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する方向で動き始めた。
妬みがひどくなった
1689年4月21日、粛宗は高官たちを前にしてこう語った。
「中宮(チュングン/王妃のこと)は妬(ねた)みが強すぎるのだ。張禧嬪が側室になったときから中宮の妬みがひどくなって、余は閉口するばかりだ」
顔を曇らせた粛宗は、さらに言った。
「婦人の妬みというのは昔からあることだが、中宮のような人間は古今を通しても、そんなにいるものではない」
その言葉を聞いて、高官の1人が言った。
「臣下の者たちは中宮様を母のように仰いでおり、そのようなお言葉を賜ってどうして心を穏やかにしていられましょうか」
高官たちは粛宗の気を静めようと説得を試みた。しかし、粛宗の感情は高ぶるばかりだった。
「嫉妬するだけでなく、中宮は余をだまそうとした。余にこれ以上、いったい何ができるというのか」
こう述べた粛宗は、問答無用で仁顕王后の廃妃を決めた。
多くの反対の声が挙がったが、粛宗は意に沿わない高官たちを処罰し、強引にこの決定を押し通した。
ただ、高官にしても市井の人々にしても、「粛宗が仁顕王后を廃妃にした背景には張禧嬪の策略があったはずだ」と思っていた。
粛宗に寵愛されていることを利用して、張禧嬪が強引に仁顕王后を宮中から追放したも同然だった。
結局、王妃から庶民に格下げとなった仁顕王后は実家に帰された。
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